3-7 血のつながり




 足元に転がっているソレを、青藍は何の感情もなく見下ろしている。
 息があるかどうかは知らない。
 魔王に挑んで来る時点で無様《ぶざま》に生き恥を晒《さら》そうとは思っていないだろう。
 命が大事なら、森で低魔族狩りでもしていればいい。こちらも考慮する気はない。


 壁に掲げられた石造りのレリーフが、ぼぅ、と青白い光を発する。
 そのわずかな明かりを頼りに、彼の周囲ではガーゴイルたちが後片付けをしている。

「坊《ぼん》は甘いっすねー」

 数分前まで勇者と呼ばれていた鎧の塊を部屋の外に引っ張り出しながら、ガーゴイルは新しい魔王を見上げた。

「前の魔王様は息の根止めてたっすよ?」
「50年くらい前の魔王様も凄かったっすね、腕とかバラバラにしてたし」

 ガーゴイルたちは口々に言う。
 しかし、その「凄い」歴代の魔王たちの大半がこの場所で息絶えている。平均任期の5年を満了できた魔王役など数えるほどしかいない。

「……戦意のない奴にそこまでする必要もない」

 青藍は脱ぎ捨てたままの形で床に広がっている黒いマントを拾い上げる。
 魔王の衣装のひとつだが動きにくいことこの上ない。他にも装飾の多い上着や手甲など、雰囲気づくりには役立つだろうが戦闘時には枷《かせ》にしかならないそれらこそが、歴代の魔王の敗因なのではないかとすら邪推してしまう。

「それが甘いんす。足下掬《すく》われるっすよ?」

 甘いのか?
 マントを抱えなおしかけた手が止まる。
 たまたまみんな息の根を止めるに至らなかっただけ。
 あえて殺さないようにしているわけではない……はず。

「ま、坊《ぼん》らしいっちゃ坊《ぼん》らしいっすけどね」

 自分は生き残ることができるのだろうか。
 ふと、そんなことを考えて青藍は自嘲《じちょう》気味な笑みをこぼした。
 おかしなことだ。此処に来るまでは命が惜しいなどと思ったこともなかったのに。


「子連れで来た時点で甘そうだな、とは思ってたっすけどねぇ」

 瓦礫《がれき》を片付けている集団のほうから別の声が飛んでくる。
 続けて、「違《ちげ》ぇねえ」と笑い声がさざめく。

 代々の魔王の下で、その生きざまを見てきた彼らからすれば自分は甘いのだろう。
 数ヵ月後か数年後かには、「勇者にとどめも刺さない甘っちょろい魔王がいて」と笑い話にされているのかもしれない。


 自分が死んだらルチナリスはどうなるのだろう。
 青藍は階段の先の扉を見上げる。
 あの扉はこの玄関ホ―ル《殺戮の舞台》と彼女のいる城内《日常》とを区切るためのもの。自分が魔王として此処に立つ限り、開けることはない。
 あの扉の先にはあの娘がいる。きっと今も姿を消した自分を探している。



「あの子、本当|坊《ぼん》の何なんすか? 隠し子?」
「んなわけないだろ」
「町長は妹って言ってたっすね」
「じゃ、妹」

 隠し子でも妹でもないから、別にどちらでもいい。
 第一、あの娘だって困るだろう。自分は「悪魔」だ。


「俺のだから食うなよ?」

 ちょっとだけのアピールは特に自分の「もの」というつもりではなく。
 そう言っておけば万が一にも自分の目の届かないところで危害を加えられることはないだろう、と、そんな意味を交えたつもりだったのだが……ガーゴイルたちには伝わらなかったようだ。

「あ、年頃に育ててから食っちゃうつもりっすね」
「坊《ぼん》のエッチー」
「ちょっと待て」

 鼻の下を伸ばして含み笑いをする異形の化け物たちの姿に、青藍は頭を抱えた。「食う」の解釈を取り違えているのはわざとだろう。

 こいつら石像だったよな。軽すぎないか? 

 本家にも同じような石像はいくつもあったし、実際、記憶は共有していると当の本人たちも言っている。あちらの石像も有事の際には実体化するから、作りとしては目の前の彼らと同じはず。
 なのに……よく似ているけれど、こいつらの材質は発砲スチロールか何かなのかもしれない。




「ずーっと坊《ぼん》の後ろくっついてんすよねー。あれっくらい小さいと和《なご》みますよねー」
「ああ。生活に潤いが出るらしい」

 母はそう言ったが実感はない。
 やたらと手がかかるし、意味もなく自分を探して泣く。そのせいで本家にいた時よりプライベートの時間が取れずにいる。
 それどころか最近は、あの子供の面倒を見るのが生活の一部になりつつあるという有様。
 これを「潤っている」と言うのだろうか。


 考え込む青藍の前では、数匹のガーゴイルたちが後片付けをしながらも「かわいいるぅチャン」談義に花を咲かせている。
 次の勇者一行がやってくるのが何時《いつ》になるのかは日によってまちまちだが、満員御礼の幟《のぼり》が練り歩きそうな日なら5分と待たずに来ることもある。
 敵対する相手だとはいえ一応はお客様。汚れたまま迎えるわけにはいかない、というのが彼らの信条。
 箒《ほうき》で掃いたりモップをかけたり、ホールを縦横無尽に動き回りながらも口だけは止めないのは、ある意味凄い特技かもしれない。



 できた当初から魔王の居城としての役割しか負って来なかったこの城に、子供がいたことなど1度もなかった。
 しかも仕事を終えれば石像に戻るガーゴイルたちは城の外に出ることもない。
 初めて見る「子供」という生き物が余程興味深いのだろう。彼らはルチナリスの朝起きてから夜寝るまでの動向を延々と話し続けている。

「女の子っすもんねー。そりゃ野郎ばっかのむさい所帯にあんな子がいたら潤いますわ」

 その女の子に1日中貼り付いているのは別の意味で問題があるような気がするのだが。
 とは言え、彼らが貼りついていてくれるおかげで放置していても様子がわかるし、彼女に手を出そうとする精霊や低級魔族も寄って来ないのだから、結果的には役に立っているわけだけれども。


「で、あの子、坊《ぼん》の何なんす?」

 だからこそ魔王《青藍》との関係が気になるらしい。
 まぁ、そうだろう。
 魔族にとって人間は食糧。手元に置いて育てるものではない。


「……お世話係」

 母からはそういう名目で押しつけられた。何をお世話するのかは知らないが。
 いや、そう言えば押し付けられた時、「お世話”しても”いいのよ」と言われた気がする。あれはこういう意味なのか?

「ほう、坊《ぼん》のお世話を受ける係っすかー。自分の子でもない小さい子を手元に置いてメイド服着せて育てるって、犯罪の臭いがプンプンするっすね」

 同感だが肯定はできない。手元に置くのもメイド服を着せるのも、決して自分の意思ではない。
 だいたい、未婚の身でありながら何故いきなり子育てをせねばならないのか。

 唯一の救いはルチナリスが子供らしからぬ子供だったということくらい。
 本人には子供らしくしていていい、とは言ったが、わがままを言って泣いたり暴れたりしないのは、実を言えばかなり助かっている。

「俺、押しつけられた被害者なんだけど」

 それなのに、よりにもよって犯罪者扱い。
 魔王なんてものは悪の象徴なのかもしれないが、私的に犯罪を犯した覚えはない。

「身寄りがないのを放り出すわけにもなぁ」

 彼女の村は廃村になっていると聞く。しかも滅ぼしたのは自分の家に所属する部隊。
 散り散りにでも逃げ伸びることができた人々が戻ってきて復興させるとしてもかなりの月日を要するだろうし、なにより、わざわざ山奥に村を作り直そうと思う者がどれだけいることか。

 それに、彼女はもともと孤児だったと聞く。
 村に戻ったとしても、そこには家族も親戚もいない。復興したばかりの村に、孤児に手を差し伸べる余裕がある者がいるとも思えない。
 彼女を養っていた「神父」という人物の行方は杳《よう》として知れない。


「るぅチャン、小さいのにしっかりしてますもんねぇ」
「あの歳で敬語使う子初めて見たっすよ」

 ずっと無理をしてきたのだろう。よく見せようとする、彼女なりの処世術に違いない。
 そうでなくて、何故あの歳で敬語が使えると言うのだ。

「とにかく。あんまりあれに話しかけるなよ? 声だけ聞こえて怖いらしいから」

 階段の途中に腰かけたまま、青藍はガーゴイルたちに釘を刺す。

 その度におばけが出たと泣きついて来るのにももう慣れた。
 しかしこの城に人外のものがいると知られるのは勝手が良くない。巡り巡って自分の正体が|露呈《ろてい》するきっかけになるかもしれない。

「アレだなんてぇ。るぅチャンって言えばいいのにぃ」
「言えるか」

 その時は、彼女は自分も悪魔として見るだろう。
 あの怯えた目で。
 怯えているくせにあくまで「敵」という姿勢を崩さない、あの目で。
 知られたところで実際そうなのだから、どんな目で見られても仕方ないのだが。

「あんな小《ち》っちゃい子がひとりでいると、可哀想でついつい声かけたくなっちゃうんすよ」
「坊《ぼん》がもっと相手してあげりゃいいのに」
「俺の仕事は子供の世話じゃない」
「お世話係」
「だから違……っ」

 構い過ぎて情が移るのが怖い。
 自分は、彼女の「敵」。
 平穏だった生活を破壊した「悪魔」の仲間。

 なのに。
 他に話相手がいないからなのだろうが、やたらと懐かれて困る。
 こういう時、誰か他の使用人がいれば違うのだろうが、人間の使用人に向かって「この城には姿は見えないのに話しかけてくる声がいる」などとカミングアウトされても困るし、魔族の使用人がルチナリスに配慮して一切魔法を使わず人間のふりをし続けることができるのかという不安もある。
 死人に口なし、処分してしまえばいいのだろうが……

「勇者にとどめも刺せない魔王様が小《ち》っちゃい子を殺せるわけねぇっしょ」

 ……既にそういうことができる空気ではない。



 何年か先に彼女が全てを知ったらどうなるのだろう。
 騙していたと恨まれるだろうか。
 今までずっと懐いてきた相手が自分を敵という目で見るようになったら、辛いだろうか。

 辛い?

 ふっと浮かんだ言葉に、青藍は動きを止めた。
 
 誰が?


 自分が?

 彼女が?




「子供はねー、ぎゅーって抱っこされると喜ぶんすよ」

 子供なんてものは見たことも聞いたこともないガーゴイルが、何処から仕入れて来たのかわからない情報を自慢げに言ってくる。
 ルチナリスが来たことで、そんな知識まで仕入れているのだとすれば勤勉だと褒めるべきなのだろう。

 が。

「だからさ、」

 喜ぶかもしれない、とは思う。
 屋根に上った時も全く嫌がらなかった。差し伸べた手にはあっさり手を伸ばしてきたし、屋根にいる間は袖も掴んでいた。抱きとめた時も暴れるどころか感謝された。

 でもそんな、なし崩しに距離を詰めてどうする。
 自分は、あの娘の「敵」だというのに。


「小さい時に愛情が少ないと道を踏み外すっすよ? これがホントの魔がさした、なんちゃってー」

 ……そうじゃなくても勇者の相手で疲れているのに、力が入らなくなるようなことを言うのはやめてくれ。

 どうせ掃除している間は自分に役目はないのだから帰るか、と思いつつも、今ので立ち上がる気力すら奪われた。
 青藍は溜息をつくと階段に座り直す。
 天井を仰ぐと、明かり取りの窓から差し込む光がシャンデリアを煌《きら》めかせているのが目に入った。


 あの娘は、いつか光さす場所に出してやらないといけない。
 こんな血と怨みに染まった闇の中にいてはいけない。





「坊《ぼん》ー、るぅチャン泣いてるっすよー。行って下さいよー」
「……今行く」

 だが、その時が来るまでに道を踏み外されても困る。
 そうでなくても親がいないだの食われそうになっただのと……そんな状況ではまともに育っただけでも奇跡だ。その上、この先には保護者がわりをしていた奴が悪魔だった、なんて状況が待ち構えているわけで。
  
 廊下の端から顔を出した1匹に頷くと、青藍は腰を上げた。
 どうせまた声をかけて泣かれたのだろう。わかってるなら少しは自重してくれ。と言うか、俺の仕事を増やすな。
 そう、胸の内だけで悪態をつきながら。

 この環境であの娘がまともに育ったら、その時は自分で自分を褒めてもいいかもしれない。
 あの娘が育つのが先か、自分の命が潰《つい》えるのが先か、それはわからないけれど。



「どう見てもシングルファーザーってやつ?」
「なんかいろいろ大変そうな魔王様っすねぇ」


 その「大変」はお前らにも原因があるんだよ。
 全くの他人ごと、といったようすで喋り続けているガーゴイルたちの声を背に受けつつ、青藍は玄関ホールを後にした。




「どうかした?」

 件《くだん》の子供は廊下の壁に背中をぴったりつけて座り込んでいる。
 泣き|腫《は》らした目が赤い。

「あ、青藍様ぁ……おばけがね、いたの」

 当たった。青藍は頭を抱える。

「風の音だよ」

 ほら、あんなふうに。青藍は枝を打ちつけられている窓を指さす。
 窓硝子《ガラス》がカタカタと小刻みに揺れている。

「でもね、風は”箒《ほうき》で掃く時は、板の目に沿って掃くといいっすよ”って言わないでしょ」
「……あー、そういう風もある、んだよ。海のほうは」

 海だからって喋る風などあってたまるか。
 青藍は心の中だけで自分の言葉を否定する。
 船乗りや神官のあたりには「風が教えてくれた」などと言う者もいるそうだが、それだって本当に聞こえているかは怪しい。

「それじゃ、”今日も同じ頭っすね。ポニーテールいいよポニーテール!”とか、”今日はいちごのパンツっすねぇ”って言う風もあるの?」

 何をやっているのだ、あいつらは。

「それにね、」
「……いい」

 青藍はルチナリスの言葉を遮った。
 本当なら全部聞いてやりたいが、それより何よりガーゴイルたちをぶん殴りに行きたい。今すぐに。

「るぅチャン、るぅチャン、って呼ぶの……」

 おい!
 どうせ声かけるならもう少しわかりにくくかけろよ、と青藍は心の中で毒づく。
 名乗ったわけでもないのにそんなダイレクトにおばけに名前呼ばれりゃ怖いだろ。相手は5歳児だぞ!

「青藍様探してもいないの。ずっと探したのに、いないんだ、も、」
「ごめんな」

 青藍はルチナリスのの頭に手を伸ばす。
 小さい。
 本当ならまだ誰かの庇護の下にいるのが普通だ。こんな子供らしくなく育ってしまったのは、この子にとっても良いことではないだろう。

 
『愛情が少ないと道を踏み外すっすよー』


 そうなのか。
 一応預かっている形である以上、道を踏み外させるわけにはいかない。町長に知られて「上手な子供の育て方(自己流)」を1日中聞かされる羽目になるのは御免だ。

 脇の下に手を入れて持ち上げてみれば、思ったよりも重い。

「青藍、様?」

 黙ってそのまま抱き上げる。頭を自分の肩に付けるように抱えると、彼女は黙って首に手を回してきた。

「どっか行っちゃったら、やだ」
「うん」

 子供の匂い。子供の熱。

「大丈夫、何処《どこ》にも行かないから」


 ……駄目だな、だんだん思考が父親になってきたかもしれない。
 嫁に出す時に泣けてきたらどうしよう。