桜の木が咲いている。
「ほんとに桜ですねぇ」
と見上げるルチナリスに、大人ふたりは目くばせをして笑う。
マーシャさんはやっぱりジャガイモを追加してきていて閉口したけれど。
「るぅ、肉食べないと、」
「胸は人並みにあります!」
こういうのも悪くない。
「最近触ってないからわからないんですよ」
「何その言い方、エロいなぁ」
昨日に引き続き、執事の軽さは継続中。城の外だからだろうか。春の陽気で片付けてしまってはいけないような気がしてならない。
でも。それもこれもきっと春の魔法。幸せな、魔法。
こんな満開の花を見られることも、こうしてひとりぼっちじゃないことも、ミバ村にいたときには想像すらできなかったこと。10年前には、想像すらしなかった……
そんな幸福の余韻を断ち切るように、義兄《あに》のポケットから呼び出し音が鳴る。
義兄《あに》が、そして執事が立ち上がる。
「……勇者だよ、空気読まないなーあいつら」
「そうですね。こんな季節に無粋です」
魔王がそんなこと言っているとは、まして花見をしているなんて勇者は想像もしていないに違いない。
「弁当残しとけよー」
「無理っす!」
「てめぇ、」
どう見ても宴会途中に職場から呼び出された人のよう。
そう、思ったけれど。
ひらひらと手を振って義兄《あに》と執事の姿が舞い落ちる花弁《はなびら》に消えた後は、まるでお祭りが終わった後みたいに寂しくて。
お弁当も、花も、すっかり色褪せて。
ルチナリスは黙ったまま、手元の小皿に目を落とす。
「ま、坊《ぼん》たちが戻ってくるまで食べて待ってましょ」
ガーゴイルが唐揚げを取り上げると、勝手にルチナリスの皿に乗せる。
「胸が無いと坊《ぼん》は落とせないっすよ」
「……絶対違う」
空は抜けるような青。それは義兄《あに》の瞳の色。
「はい、お兄ちゃんの卵焼き」
舞い散る花弁《はなびら》はまるで魔王の炎にも似て。
「ずうっと、こうしていられたらいいのに」
魔王とか勇者とか、そんなのはいらない。魔族も人間も関係ない。
ずっと、あたしの傍《そば》にいて。
あたしに笑いかけて。
「そうっすねー。仕事しないで食ってればいいとか最高っすよ」
「いや、そういう意味じゃなくてね」
ずっと。
偽物の家族だって、いつかは本物になる日が来る。来てくれる。
桜の中に消えていった人を思う。
卵焼きは優しい味がした。