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父親!? って、あの大悪魔とか呼ばれていて、最近じゃ全然表舞台に出て来ないレアキャラ化してるっていう、あの!?<br />
口をポカンと開けた馬鹿面で絶句しているであろうあたし《ルチナリス》に、前当主は目を細めて微笑《ほほえ》んで見せる。<br />
とは言え、漂う戦人《いくさびと》の雰囲気のせいで「隙があればお前を取って食う」と暗に言っているように見えなくもなく……何処《どこ》となく愛らしい小動物を見る目線で、いや、牧場の「コブタの競争」でブヒブヒ言いながら団子と化して走るコブタの群れを見る時の、かわいい3割・面白い5割・美味《おい》しそう2割の目線を感じる。<br />
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そんな目のままで、<br />
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「シェリーが言っていたとおりの娘だな」<br />
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と一言。<br />
怖い。怖すぎる。何を言ったんですか第二夫人! 「息子が女の子を拾って義妹《いもうと》として育てているという美談」でも「息子が女の子を拾って義妹《いもうと》として育てているけれどそのまま放置しておいても大丈夫だろうか、性犯罪に走ったりしないだろうかという不安」でもなく、「息子が拾った女の子がそろそろ食べ頃」で伝わっているようにしか見えないのですが!!!<br />
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なのに<br />
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「でしょ? この子をあの青藍がかわいがってるのよ、信じられるー!?」<br />
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第二夫人にあたし《ルチナリス》の懸念《けねん》は全く伝わっていない。<br />
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しかし、だ。<br />
彼ら(主に前当主)があたしのことをどういう目で見ているかはこの際置いといて。<br />
前当主ということはこのオッサン、いや、オジサマは生粋の魔族なわけで。で、第二夫人は(執事《グラウス》曰《いわ》く)人間で。<br />
魔族が人間の女を、それも聖女を魔界に連れて行ったなんて、いくら妻に迎えたのだとしても絶対に思惑がある。例えば聖女の力欲しさに無理やり手籠《てご》めにしたのではないか? と、そんなことも考えていたけれど、こうしてみると普通の男女として恋仲になったようにしか思えないのは、ただのあたしの欲目だろうか。<br />
偏《ひとえ》に前当主の容貌が(怖そうだけれども)人間にしか見えないせいで、角が生えていたり顔が牛だったりしたら絶対に違う感想を抱くけれども……って脱線した。このご夫婦の仲が良すぎるから、余計にあることが引っ掛かる。<br />
<br />
彼らは仮にもこの城の当主とその夫人だ。夫人のほうは純血の魔族ではないから発言権は弱いと推測するが、当主のほうは黒かったものも一言言えば白にできるだけの権力があるはずだ。<br />
なのに義兄《あに》は人間の血が混じっているとか、突然変異で魔力が高いんだとか、母親似だから男にモテそうだとか散々言われて……目の前の仲の良い夫婦仲を見るにつけ、そこまで仲がいいならあなた方の愛の結晶にも少しは注意を払いなさいよ! と他所《よそ》のご家庭のことながら理不尽さを感じずにはいられない。<br />
何というか、第二夫人の義兄《あに》に対するノリは「手元にある間はそれなりにかわいがるけれど、捨てろと言われてたら捨てられる」みたいな、何処《どこ》か突き放した感じがする。<br />
あたしが孤児だから母親は絶対に子供を捨てない! みたいな血の絆《きずな》的な理想を見ているだけかもしれないけれど。<br />
だから。<br />
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このふたりは重要なことを隠している。<br />
あたしを此処《ここ》に呼んだのも善意ではなくて、考えがあってのこと。赤の他人のあたしなんて義兄《あに》以上に捨てやすいもの。<br />
何の根拠もないまま、そんなことを思う。<br />
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「あの。あたしはどうして此処《ここ》に? 此処《ここ》は何処《どこ》なんです?」<br />
「お茶会に理由が必要?」<br />
「ええっと」<br />
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第二夫人から感じるのは限りない善意。疑ってごめんなさいと土下座したくなるほど神々しい。<br />
でもそれに騙されてはいけない。多分。<br />
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あたしは何故《なぜ》此処《ここ》に同席しているのだろう。<br />
あたし自身、死んだ覚えはないけれど……でももしあたしの想像が全っ然見当外れだったのなら、何かのはずみでついうっかり死んでしまったあたしを、最後にお茶くらい飲んでから逝《い》きなさいよ、と……いや、ちょっと待て! 第二夫人性善説を取るとそれしか思いつかないけれど、ちょっと待て!<br />
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「あたし、やっぱり死んじゃってます!?」<br />
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思わず叫んだルチナリスに、目の前の夫婦は吹き出した。第二夫人なんか手を叩いて笑っている。<br />
<br />
「なかなかに面白い」<br />
「でしょでしょー!」<br />
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待てよこら。こっちは笑っている場合じゃないんですけれど!<br />
しかし義兄《あに》のご両親とあっては怒鳴りつけるわけにもいかない。<br />
何だろう。味方なのに腹の内が読めない胡散《うさん》臭さと言うか、彼らが隠している思惑や諸々を想像するにつけ、どうにも信用する気メーターの針が下がっていく。<br />
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この人たちは、<br />
あたしを、<br />
どうするつもり?<br />
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――ワカッテル クセニ。<br />
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耳の奥でもうひとりのあたしが嗤《わら》っている。<br />
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そんなあたしを無視してひとしきり笑ってから、第二夫人はやっとこちらを見た。目尻に溜《た》まった涙を拭《ぬぐ》いながら。<br />
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「まだ完全には死んじゃいないから安心して」<br />
<br />
完全に、って何だよ!!!!<br />
義兄《あに》にのらりくらりと話の焦点をずらされていく時のような、はっきりとしない気持ち悪さが背筋を這《は》い回る。それでも義兄《あに》ならば長い付き合いから、あたしに害になることはしない、と思うことができた。でもこのふたりは違う。<br />
不審な目を向けていると第二夫人はテーブルの上で握りしめていたあたしの拳《こぶし》を指差した。<br />
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「特別な薬草を飲んでいたでしょう? ご覧なさい、あなたの周りだけ闇が近付けないでいる」<br />
<br />
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指差されるままに自分の手を見れば、確かにうっすらと、ほとんどそれとわからないくらいに薄くではあるけれど、白っぽい膜に覆われている。時折《ときおり》差し込む影が、パチリと小さな火花を散らしては消える。<br />
<br />
何だこれは。<br />
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そっと第二夫人を盗み見て見れば、彼女の影はかなり暗い。前当主も同じく。彼らから比べると自分だけ色が薄いと言うか明るいと言うか、明度と彩度が高い。<br />
窓の外は真っ暗で、部屋の中の明かりは何処《どこ》も同じ色で。<br />
そんな中にいてあたしだけ色が違うのは、やはりあたしだけが違っていると――まだ死んではいないと――そう期待するしかない。<br />
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ヒカゲノカズラとハナハッカ。<br />
あの草は一般的には邪気を祓う効果が、呪術としては死者の魂をこの世に繋ぐために使われる、と師匠《アンリ》は言っていた。<br />
ミルに付き合って飲んでいた薬草茶の効能が、こんなところに出ているのかもしれない。<br />
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「それでも闇に呑み込まれていることには違いない。此処《ここ》はそういう場所だ」<br />
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会話を黙って聞いていた前当主が居住まいを正す。椅子が壊れそうな悲鳴を上げる。<br />
<br />
<br />
闇。<br />
どうりで窓の外が真っ暗なはずだ。<br />
ルチナリスは改めて窓の外に目を向けた。通常サイズよりも遥《はる》かに広く取られた窓は、眺めていると空の中に部屋ごと浮かんでいるように思えた。しかしその窓の外が闇だと聞かされた後では、たったひとつ取り残されたシェルターの中で身を潜めているような、あの薄い硝子《ガラス》板1枚が割れたら終わりなんだと、そんな終末的な考えに陥《おちい》りそうになる。<br />
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で、そんな状況下でこのふたりはお茶会をしている、と。<br />
何? この空気読んで感。でもそれは言えない。言っちゃいけない。<br />
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「ごめんなさいね、あなたまで巻き込んでしまって」<br />
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第二夫人は困ったように笑った。<br />
闇の中でのお茶会に強制的に呼んだことを言っているのだろうか。それともやっぱりあたしを利用するつもりだろうか。<br />
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「……何のことでしょう」<br />
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『まだ死んでないけれど、その命、我々のために使わせて頂くぜ!』<br />
『仮死状態は死んだようなもんだしいいよね?』<br />
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あたしの脳内で第二夫人と前当主がそう言っている。<br />
いや、これは想像! 本人が言ってるわけじゃない! そう必死に修正をはかるが上手く行かない。<br />
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お茶会の招待以外に夫人の謝罪を受けるいわれはない。<br />
魔界にまで来たのはあたしの意思だ。志半《こころざしなか》ばで果てようとも、それは自己責任だ。<br />
聖女候補になったのも自分で決めたこと。嫌なら断ってもいいんだよ? と勇者《エリック》はしきりに言っていたし、強制されたわけじゃない。<br />
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第二夫人が前《さき》の聖女だったとして、彼女の死をもって次代の聖女を決めなければならないことになったとして、それで苦労したのはソロネや勇者《エリック》のような「聖女候補を探し隊」のメンバーと司教《ティルファ》やロンダヴェルグ聖教会のあたりの人々だ。むしろあたしは至れり尽くせりの厚遇で、たまたまミバ村出身というだけでこんなにしてもらってもいいのだろうかと罪悪感を抱いたほど。<br />
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義兄《あに》の義妹として10年過ごしたことだって、もし助けてもらっていなければあたしはとうに死んでいた。<br />
義兄《あに》も執事《グラウス》も城のみんなも、魔族だけれども人間以上に親身になってくれて、学のない孤児なのに衣食住と城主の義妹の地位まで貰って……「悪魔《魔族》は敵だ」と頭ごなしに拒否るなんて罰《ばち》が当たると思ってしまうくらいで。<br />
巻き込まれた、と言えば普通の女の子以上に波乱万丈な人生を送っている自負はあるけれど、それで第二夫人に謝られる理由は何ひとつ思いつかない。<br />
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やはり「まだ死んでいない」に関してのあたりだろうか。<br />
下界を眺めていたらあたしを見つけて、「ちょっとお喋りしてみたいわぁ♡」なんて安易な理由で此処《ここ》に無理やり引っ張り込んだら体から魂が抜けてしまったとか、そのせいで本体が死ぬのも時間の問題だとか、そんな危機的状況に……。<br />
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『仮死状態は死んだようなもんだしいいよね?』<br />
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いやよくないから!<br />
どうしよう、辻褄《つじつま》が合いすぎて怖い。<br />
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「あ、あたし、生きてるうちに帰りたいんですけどっ!」<br />
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あたしが此処《ここ》にいる原因がこのふたりなんだとしたら、という一縷《いちる》の望みを抱《いだ》いてルチナリスは訴える。このまま時間切れ《タイムアップ》は避けたい。<br />
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