11-2 門―gate―・Ⅱ




 揺れがおさまるのを待ってルチナリスは顔を上げた。
 目の前に伸びているのは先ほどまでと同じ廊下だ。ひび割れもなく、絨毯に皺が寄ることもなく、あの花瓶すらずれることなく小テーブルの上に鎮座している。




 さっき見たのは何だったのだろう。白昼夢にしてはやけにリアルだっ……

「うぎゃあぁぁぁぁぁ!!」
「勇者様!?」

 背後で勇者の悲鳴が上がった。
 思わず振り返った彼女の視界に飛び込んで来たもの――それは、「いつもの」光景ではなかった。

 廊下を天井まで埋め尽くした巨大な門。
 黒ずんだ金属製の扉は固く閉じ、その上から鎖で幾重にも封じられ、大人でも数人がかりでなければ持ち上がらないのではないかと思えるほどの巨大な錠前がぶら下がっている。
 扉の周囲を彩っているのは大小様々な髑髏《どくろ》。数が多すぎて何処《どこ》に蝶番《ちょうつがい》があるのか見えないほどだ。
 そしてそんな|数多《あまた》の「怖い演出」よりも恐怖を誘うのは……今まさに扉の隙間から白い煙がじわじわと漏れ出ている、ということだろうか。




 何? この地獄の門みたいなのは!?

 ルチナリスはへたりこんでいる勇者と門を見比べる。
 こんな得体の知れないものが現れたのは、やはりナチュラルに異世界に入り込める男が来たせいだろうか。絶対に、絶対に、絶対に! あたしのせいじゃない。


 煙の量が増えていく。通常の煙は軽いので上のほうに溜まる、と聞いていたが、この煙は床を這うように広がっていく。
 と言うことは、燃えて出る煙ではないわけだ。そんな判断をしている自分は冷静なのか、それなのに腰は抜けているのか、なんてことを考えていると……いきなり鎖がたわんだ。
 錠前がひとりでにカチリ、と外れ、グワァァァァン! と大きな音を立てて床に落ちる。
 床石が砕ける。破片が飛ぶ。

「ひいっ!」

 とっさに頭を庇《かば》う勇者の背後隠れることで破片をやり過ごし、ルチナリスは再度扉を窺《うかが》う。
 錠前が床にめり込んでいる。つまり穴が開いている。

 ……こういう穴って石膏に砂とかを混ぜて埋めれば良かっただろうか。それでは見た目が悪いから、破損した敷石を全て外して新しい石と入れ替えなければ駄目だろうか。
 頭の中だけはグルグルと回り続ける。
 と言うか、誰が修理するのだろう。
 あたし?
 あたしに責任とれって言っちゃう? あたし、居合わせただけなんですけれど。


 この城は壊滅的に人手がない。此処で暮らすつもりなら、城の修復くらいできたほうがいいに決まっている。
 数ヵ月前にフロストドラゴンが破壊した玄関ホールの天井は、あの後2か月近く穴が開いたままだった。
 城の修復という難易度と冬の寒さの相乗効果で職人がつかまらず、元通りになるまでの間、天井に何枚もの布を張って凌《しの》いでいた。ただその布は雨除《よ》けにも寒さ|除《よ》けにもならず、霜と夜露で水浸しになる床を毎朝掃除しなければいけない、とガーゴイルが愚痴っていたのを思い出す。

 もしあたしにその技術があったら。
 若干16歳にして城の修復技術を持つメイド……芸能人と村を作る企画があったら確実に呼ばれることは間違いない。

 そんな意味不明な思考に逃げている間にも、扉は嫌な音を立てながら開いていく。
 錠前が外れたのだ。あとは開くしかない。


 それを見て、やっとルチナリスの足腰が動いた。
 勢いをつけて立ち上がり、勇者の腕を掴む。
 マズい。
 これは扉が開いたら最後、一斉に武装した悪魔(ガーゴイル系)が飛び出して来る可能性が高いシチュエーションではないですか。頭からガリガリ食べられて、1分も経たない間に骨しか残っていませんでした、なんてことになりそうな。
 だが勇者は動かない。腰が抜けているらしい。

「勇者様立って!」

 足が震える。何もなければ一緒に座り込んでしまいたい。しかしそれはできない。
 泣きたいのを堪《こら》えて勇者の腕を引くも、しかし全く動かない。

 背中の剣を尻の下に差し込めばテコの原理で持ち上がるだろうか。
 いやその前にひとりで逃げてしまったほうが早い。残念だけれども、勇者様には足止めの餌になってもらおう。
 そんな残酷なことを考えている間にも扉は開いていく。
 白い煙の向こうに人影が見え――。

 その瞬間。
 しゅっ、と黒っぽいものが隙間から飛び出した。
 またしてもとっさに勇者を盾にする。その盾《顔面》に直撃したのであろう振動が背中まで伝わってくる。

「ごふっ!」

 とくぐもった声と共にのけ反る勇者と、同じように跳ね返って扉側に転がっていくソレ。
 とにかく(自分への)衝突は避けられた。
 ルチナリスは勇者を盾にしたままソレに目を凝らす。ぶつかった衝撃で勢いが弱まったのか、転がる速度も緩やかに――形が見やすくなりつつある。
 黒というよりは灰色の、ふわふわとして、毛玉にしては耳らしきものが突き出した……

「……ウサギ?」

 毛玉は新たに扉から現れた茶色の編み上げブーツの爪先で止まった。
 上から下りて来た手が、その毛玉を拾い上げる。
 目で追っていたルチナリスはその爪先から上に視線を上げた。

 灰色のウサギを胸に抱えた少女がひとり、そこに立っていた。




「此処は|何処《どこ》かしら」

 少女はウサギを抱えたまま周囲を見回している。
 緩《ゆる》く波打った淡い金色の髪は腰まで達し、紫色の瞳は春の日差しの下で咲く菫《すみれ》のよう。抜けるような白い肌と、飾りは少ないものの決して安いものではないことがうかがえるドレスは、彼女の育ちの良さを表しているようにも見える。
 抱えている小動物の無害感と相《あい》まって、天使と見紛《みまご》う者もいるかもしれない。出てきたのが髑髏《どくろ》満載の扉でなければ。


「ノ、ノイシュタインで、す……」

 毒気を抜かれた体《てい》で答える声に、彼女は目を輝かせた。
 腕の中にいたウサギを頭上高く持ち上げると、勝ち誇ったように叫ぶ。

「どう? 柘榴《ざくろ》! ちゃんとゲートはつながったわ!」

 ゲート?
 ゲートって何処《どこ》かで聞いたような。
 ルチナリスが記憶を探っている間にも、柘榴《ざくろ》、と呼ばれたウサギはふるふると首を振ると少女と同じように周りを見回し、

「確かにこの匂いはメフィストフェレス系列の血が持つ魔力の匂い」

 と呟いた。


 呟いた。
 ウサギが。
 これはツッコミ案件だろうか。しかし出てきた扉が扉だ。見た目がかわいいからといって、中身もかわいいとは限らない。
 ルチナリスが躊躇《ちゅうちょ》している間にも、少女は少女で勝手にウサギに向かってまくしたてている。

「青藍様だわ! 執事さんもいるかしら?」
「生憎《あいにく》と僕は青藍様にも執事さんにもお会いしたことがないので、そこまではわかりかねます」
「役に立たないわね! だから何時《いつ》まで経っても半人前って蘇芳《すおう》に言われるのよ!」


 どうしよう。またしても自分のあずかり知らぬところで話が進んでいくパターンだろうか。
 呆然とへたり込んでいる観客など眼中にないひとりと1羽を前に、ルチナリスは口を挟むべきか考えあぐねる。

 どうも彼女は義兄《あに》や執事と顔見知りのようだ。と言うことは魔族だろうか。
 あんなおぞましい扉から出て来たのだから9割は魔族だと思うが、それでもはっきりしない間はこちらから行動《アクション》を起こすのは避けた方が無難だ。
 魔族だからと言って全員が味方、というわけではない。人類が皆兄弟ではないように。

 そう様子を窺《うかが》っているルチナリスの横で、

「ウサギが喋ってるーー!」

 空気を読まない勇者が指をさしながら大声を張り上げた。

 だから何故お前は!
 今の今まで何の役にも立たなかったのに、逃走の邪魔でしかなかったのに、どうしてさらに邪魔をするのかな!?!?
 殴りたい。
 パッカーン! といい音がすることだろう。

 勇者の声にウサギは怯えたように背中を振るわせると、耳を下げて腕に隠れた。
 金髪の彼女はそんなウサギを一瞥し、勇者に笑みを向ける。

「ごきげんよう」

 何だこの上流社会みたいな挨拶は。
 いや、城の中で「ごきげんよう」は別におかしくない。どちらかと言えば勇者とあたしの庶民コンビのほうが場違いだ。しいて役名をつけるとすれば目の前の少女がお嬢様で、あたしたちは、THE・ 下働き's《したばたらきーず》。
 その下働き's《したばたらきーず》を見下ろし、お嬢様は言い放った。

「城主様はいらっしゃるかしら。いなければ執事さんでも構わないわ。アイリスが来たと伝えて頂ける?」




 どちらのアイリス様でしょうか。名前だけで通じてしまう間柄ですか?
 聞きたいが、聞いてもいいのだろうか。

 義兄《あに》はあれでも一応は上級貴族に与《くみ》する。
 加えて先日、「嫁になる」と押しかけて来た娘がいたばかり。おかげで「知り合いを語って近付く女は知り合いでも何でもない」と執事からきつくお達しがあったばかりだ。
 私憤がかなり含まれているようにも感じたが、そう言いたくなる彼の心情もわからなくはない。なんせ義兄の実家は現在魔界随一の上昇株、当主である実の兄は魔界を統べるに相応《ふさわ》しいと言われているがなかなかお近付きになりにくい……と言うことで、その唯一の弟君はそういう方々からも狙われることが多いらしい。
 確かに外面はいいし、危機管理も薄いし、他人に対して妙に甘い。ご機嫌を損ねたら命が飛びかねない当主を相手にするよりは、この弟君に取り入るほうが絶対に楽だ。とあたしも思う。


 そして目の前の「義兄の知り合い」を語るお嬢様は、小洒落《こじゃれ》ているとはいえワンピースにブーツという恰好。貴族階級なのか、お金持ちなのか、ただのファンクラブの人なのか、皆目《かいもく》見当がつかない。
 義兄や執事も全く世間と縁を絶って暮らしているわけではないから、魔族の集まりに顔を出せば自《おの》ずと知り合う機会もあるだろう。しかしこんな若い女の子が義兄の知り合いを語って乗り込んでくると言うのは……執事ではないが、気分のいいものではない。


「……少々お待ち下さいませ」

 いいものではないが、あたし《ルチナリス》個人の一存では判断がつかない。
 ルチナリスは立ち上がるとアイリスと名乗った少女に一礼した。
 義兄から義妹《いもうと》扱いをされてはいるものの、あたしはただのメイド。見た目だってばっちりメイド。使用人が客人――いきなり廊下に扉を作って乗り込んで来たのだとしても――相手に失礼な態度をとっては主《義兄》の評価が下がる。

 へたり込んだままの勇者を置いていくのは気が引けたが、どうせ動けない。
 動けるようになって、もし万が一また異世界に入り込んでしまったとしてもこの男なら自力で戻って来るだろう。いや、自分のことは自分で何とかしてくれ。子供じゃないんだし。


 町長が来ているのなら義兄は確実に執務室にいる。
 執務室はこの廊下の先の―――。

「どうしたの?」

 髑髏《どくろ》の扉を見上げて立ち止ったルチナリスに、アイリスは不思議そうな顔をする。

「あ、いえ、少々お待ちを」

 ルチナリス身を翻《ひるがえ》すと、扉に塞がれていない側に伸びる廊下に足を向けた。曲がり角を左に曲がり、もう1度左に曲がれば中庭を挟んだ反対側の連絡通路に出る。
 要するに迂回だ。執務室には今いた廊下を真っ直ぐ行った方が近いが、例の扉が行く手を塞いでいる。あの扉を無理やり通るくらいなら時間がかかっても迂回したほうがずっと安全だろう。
 そうして、上から見るとUの字型になった廊下のもう一方を半《なか》ばまで進んだところで、ルチナリスは見えない壁にぶち当たった。
 廊下は真っ直ぐに続いている。その先で道分かれしているのも見える。
 なのに、これ以上進むことができない。

 窓の外、中庭を挟んだ先に見えるのはさっきまでいた廊下の窓。
 ちょうどルチナリスが足止めを食らっているのと同じ位置に、あの扉が鎮座している。
 つまり。
 城をちょうど真っ二つにする形で、見えない壁ができている。




「あの、アイリス様。この扉を消してもらえませんでしょうか。主人はこの先にいるんです」

 成果のないまま戻ったルチナリスは、待ち構えていたアイリスにそう言わざるを得なかった。
 この扉と同じ位置で向こう側の廊下も行き止まり。どう考えてもこの扉のせいだと考えるべきだろう。
 そしてそこ《扉》から出てきたのは他ならぬアイリスだ。扉と彼女が何の関係もないはずがない。

 アイリスは目を瞬かせると、同じように背後の扉を見上げた。
 何時《いつ》の間に戻ったのだろうか、髑髏《どくろ》の飾りがおぞましい巨大な扉は現れた時と同じように固く閉じている。
 ただ錠前は床を抉《えぐ》るように突き刺さっているし、鎖も何本も垂れ下がったまま。
 見た目が見た目だけに鍵が開いている状態で据え置かれていると、今度こそ頭からガリガリ食べてしまう系の悪魔が飛び出して来るのではないかと気が気ではない。


「柘榴《ざくろ》」

 アイリスは腕の中のウサギに話しかけた。

「この扉を消して頂戴」
「無理ですお嬢様」

 間髪入れずにあっさりと拒否された。
 漫才でも見ているような絶妙なタイミングは、まるでこの日のために練習してきたかの如《ごと》く。そして掛け合いのタイミングをバッチリこなしたウサギは、腕の中から振り返るようにアイリスを見上げる。

「ゲートは開いた術者以外は消すことはできないのが普通です。お嬢様にできないとなると、他に誰が消せましょう」
「ちょっと待ってよ!」

 アイリスはウサギを掴み直すと上下に振り回した。

「術者にしか無理とかそんな話聞いてないから! お婆様のところでも何処《どこ》でも私がつないだゲートは誰かが消してくれていたじゃない!」
「それは何処《どこ》もゲートの鍵が開けてあるからですよ。ですからお嬢様が好き勝手に開けたゲートを他の方が閉じることも可能なんです。けれどノイシュタイン城は鍵がかかっていましたでしょう? あれほどやめろって言ったのにそれを無理やりこじ開けたんですから、この扉はメフィストの坊ちゃんでも消すことなどできませんよ」

 淡々と説明するウサギに、ふと我がノイシュタイン城が誇る悪徳執事の姿が重なって見えた。ルチナリスやガーゴイルたちを武装した理論で言い負かす……いや諌《いさ》める時の、あの上から目線の口調によく似ている。

「床まで壊してしまって。弁償するにもお嬢様の小遣いでどうこうできる額ではありませんよ? 鍵を持ちだしてゲートをこじ開けたところから洗いざらいカーミラ様に釈明なさいませ」
「だから! そうなるってわかってたんなら止めなさいよ!」
「人は失敗することで学ぶのです」

 ああそうか。
 このウサギ、教育係とかそういう奴だ。間違ってもペットじゃない。



 柘榴、と呼ばれたウサギはアイリスの手からヒラリと飛び降りると、ルチナリスたちに向かって深々と頭を下げた。
 下げると耳が隠れて本当に毛玉にしか見えない。色が灰色だからか|埃《ほこり》の塊にも見えて、どうにも箒《ほうき》で掃き出したい衝動に駆られる。

「申し訳ございません。うちのお嬢様が無茶をしたばかりにとんだご迷惑を」
「あ、いえいえ」

 つられてルチナリスも頭を下げる。
 しかし使用人がふたり(正確にはひとりと1羽)して頭を下げあったところで事態が好転するものでもない。

「で……ゲートが閉じられないとか何とかと言うのは」
「聞いていましたか?」
「ええ。ばっちりと」

 生まれてこのかた16年、ウサギと笑顔で腹の探り合いをする日が来るとは思わなかった。あたしって、もしかしたらこの世界の誰よりも濃い人生を送っているのではないだろうか。
 そんなことを思うルチナリスの横で、同じように濃い人生を送れそうな男はまだ腰が抜けている。




 「ゲート」とは移動時間を解消するために作られた通路のことを指す。
 そこを通ればあたかも瞬間移動のように空間を移動することができる、という「魔法と一括《ひとくく》りにするにはあまりにもチートな仕様じゃないの?」と言いたくなる性能だが、それだけに使える者と場所は限られているらしい。
 繋《つな》げられるのは建物同士。片方が城で片方が納屋《なや》でもそれは構わない。
 そして繋げられるのは「鍵」と呼ばれる媒体を持つ者。
 以前、スノウ=ベルから精霊の金額について聞いたことがあるが、このゲートを開けるための「鍵」もやはり高価なものであるらしく……本来は人間界に住まう魔族が魔界に行き来しやすくするため、という目的だったものが、今は特権階級だけのものになりつつあるらしい。
 

「ただノイシュタインは魔王城と言うこともありまして、何処《どこ》ともゲートを繋《つな》ぐことを許可してはおりません」


 元々此処《ここ》は勇者を迎えうつための窓口。魔王は悪魔《魔族》を倒そうとする人間を吸い寄せるためのいわば|囮《おとり》だ。そのためにわざわざ人間界の中でも僻地《へきち》に建てられ、隠れて点在する他の魔族の城からも隔離されているらしい。
 そんな場所だからこそ他の魔族の居城に繋《つな》がっているわけにはいかない。何のために魔界から切り離されて置かれているのか、その意味をなさなくなる。
 此処《ここ》には|余程《よほど》のことがない限り他の魔族が来ることなどないし、連絡手段も郵便とライン精霊と呼ばれる音声通話のみ。
 義兄も出かける時は馬車を使っていたから、ルチナリスが実際にゲートなるものを見たのはこれが初めてになる。


「それを無理に壊して繋《つな》いだんですから、」

 幾重にも巻かれていた鎖と錠前は、他との繋《つな》がりを禁じていることを表していたのかもしれない。
 それを壊してしまった。
 鎖を巻き直し、錠前を元通りにすれば直るのかもしれないが、この場にいる3人と1羽でそれは無理な相談だ。ガーゴイルを呼べるだけ呼んで、とも考えたが、勇者がいる時点でそれはできないし、確実に元に戻せる保証もない。

 言外に嫌味を滲《にじ》ませる柘榴《ざくろ》に、アイリスはふくれっ面で口を尖らせている。

「そんな大変なことになるってわかっていて止めない柘榴が悪いのよ」
「止めましたよ? でもお嬢様は全然聞く耳を持たなかったじゃありませんか」


 本当にあの執事《グラウス》を見ているようだ。
 魔族にはああいう性格が多いのだろうか。それとも動物繋《つな》がりで似ているのだろうか。
 まさか親戚だとか……でも奴は狼だし、もし親戚だとしてもかなり血は薄いはず。


「失敗するのも経験です。これに懲《こ》りたら少しは他者の諫言《かんげん》もお聞き下さい」


 連日のように撃ち込まれる嫌みを思い出してルチナリスまで耳が痛い。自分には義兄という緩衝《かんしょう》材がいたからまだいいものの、このお嬢様はどうなのだろう。
 しかし緩衝材の有無をルチナリスが気にしたからといってどうにかなるものでもないし、今はそれよりも重要な案件が立ち塞がっている。

「あの、お嬢様の人生経験はともかく、この扉が何時《いつ》までも此処《ここ》にあると私共も困るのですが」

 この扉のせいで義兄と執事(と町長)はこの奥に閉じ込められている。
 今はまだ歓談中だろうから影響は出ていないけれど、これはかなりマズい。
 何がマズいって、恋の季節とやらにあのふたりをふたりっきりにすることが、だ。

 町長もいることはいるけれど、

『私には手の負えない事象が起きたようです。少し見て頂けますか』

 などと言って義兄だけ連れ出すこともできないことではない。義兄も城内で起きた問題なら町長を部屋に待たせておくだろう。
 そして例の見えない壁に阻《はば》まれて、外に出る手段がないじゃないかどうしよう、と不安にさせたところで

『大丈夫です。私がおそばにおります』

 とか言っちゃって! 他に人目《ひとめ》がないのをいいことにあんなこととかこんなこととか……だって奴は発情期なのよ!? さかりのついた獣《ケダモノ》よ!? もしかしてその発情期とやらが魔族全般にそうだったらお兄ちゃんだってなし崩しに、いや! 想像しちゃ駄目! 駄目よルチナリス!!!!


「全く手がない、と言うわけではございません」

 ひとり悶々としてのたうち回るルチナリスに、さすがに罪悪感を覚えたのであろう。柘榴《ざくろ》は神妙な顔つきをする。

「魔界の何処《どこ》かにあると言われているマスターキーを手に入れることができれば、不完全に繋《つな》がれたこのゲートも消すことが、」
「行くわ!」

 言葉が終わらないうちに、ルチナリスはそう叫んでいた。
 このゲートを消す方法があるならするしかない。
 消さなければ義兄に2度と会うことはできない。
 それもなるべく早く消さないと、今頃大事なお兄様はきっと獣《ケダモノ》に迫られている。


「ルチナリスさーん? このウサギ、魔界って言ったよ? 人間には無理なんじゃないかなぁ。きっと空気自体が|瘴気《しょうき》を孕《はら》んでいて長くいると死んじゃったりするんだよ? 人間を喰《く》っちゃう悪魔がいっぱいいるんだよ? しかもそこで鍵1個探すんだよ?」

 ナチュラルに異世界に迷い込める男がへたり込んだまま異議を唱える。
 魔界があるということとルチナリスがその魔界に行こうとしていることについてには異を唱えないのは「さすがRPG脳」と言うべきだろうか。

『えーっ! 魔界とか本の読みすぎなんじゃないの? ウケルー』

 などと真っ向から否定されるよりは話が早くていい。それがいいかは知らないが。


「このまま何もしないでいろっていうの!?」

 ルチナリスは勇者を睨みつけた。

「このまま待ってるだけじゃ青藍様にはもう会えないかもしれないのよ!?」

 そんなのは嫌だ。
 何時《いつ》の間にかいなくなっていたガーゴイルたちのように、義兄がいなくなってしまうのは嫌だ。
 そうなったら、あたしは――。


「……それじゃ僕も行くよ」

 勇者は剣を背負い直すと立ち上がった。

「大事な人を守りたいってのはわかるもの。それに町長さんにも帰ってきてもらわないと僕は給料がもらえない」
「お嬢様も、当・然! ご一緒されますよね? ゲートをこのままにしておけば暴漢が魔界に乗り込んできて旦那様がたを襲うことになるやもしれません」

 柘榴は口を尖らせたままそっぽを向いているアイリスの足をペシペシと叩く。


 先に襲ってきたのは悪魔《魔族》なのに反撃に来られたら暴漢扱いなのか。
 ルチナリスの脳裏にかつて住んでいた村の惨劇が浮かぶ。
 この10年、魔族に囲まれた暮らしの中で自分では魔族寄りになっていたつもりだったのに、まだこうして記憶と怨《うら》みが首をもたげる。


「行くわよ。行けばいいんでしょ」

 アイリスはルチナリスと勇者を交互に見、再度ルチナリスの上で目を留めた。


「ただのメイドのくせに、随分と青藍様を気にかけるのね。…………………………もしかして青藍様に妹扱いされてるっていう人間の……?」
「え、ええ……まぁ」

 「人間の」という言い方からして、やはりアイリスは魔族なのだろう。
 そして狩りの対象《人間》を妹にしている義兄の行為は魔族の皆様に良い印象を与えていない。少なくともこのお嬢様には。
 その証拠に、先ほどからルチナリスに突き刺さる視線が痛い。まるで兄を他の女に取られた妹のような……。


「ふぅん」

 アイリスはルチナリスを上から下まで吟味するように見た後、残念そうに目を外した。
 どういう意味だ!? と問うより前にぽつりと呟く。

「ま、ゲートを消さないと執事さんにも会えないってことだものね」

 は? 執事? 義兄ではなくて執事!?
 そう言えば無理やりゲートをこじ開けてまで何をしに来たのだ? このお嬢様は。

 絶句するルチナリスの頭上で扉が|軋《きし》む。
 鎖が音を立てる。
 錠前は既に床に刺さっているからこれ以上落ちて来るものはないはずだが……ルチナリスたちは慌ててその場を飛び退いた。


 隙間から再び白い煙が漏《も》れ出てくる。
 まるで手招きするかのように扉が開いていく。